June 29, 2022
<03May’2017、高野山奥の院> 以下同左
水向け地蔵、高野山奥の院。
今日の写真は、奥の院の最奥弘法大師御廟へ続く最後の橋、「御廟橋」とその周辺です。
御廟橋から先は撮影禁止となっていました。
奥の奥の弘法大師御廟、御廟の前の「燈籠堂」とその地下まで、お参りしましたが、撮影禁止でしたので、御廟橋からちらっと見える「燈籠堂」までの写真が最も奥の写真です。
・水向地蔵
水向地蔵は御廟橋(無明の橋)の東側に玉川(御廟川)に沿って、地蔵菩薩、不動明王、弥勒菩薩、聖観音など15体の金銅仏が並んでおり、すぐ横には、玉川の水行場があります。
平安時代、常設の橋がなかった頃は、手足を清める場であったが、室町時代以降、この地に石像仏が建てられはじめ、慶安年中(1648-52)には、石水盤が設置されました。
水向地蔵と呼ばれるのは、前に置かれた水盤にある水を柄杓で尊像に手向けて供養することに由来しています。
・御供所(ごくしょ)
水向地蔵の東側にあり、弘法大師御廟に奉仕するため、小さな庵を建てたのが始まりいわれます。
現在でも、弘法大師に供える日々の生身供(しょうじんぐ)を御供所で作り、毎日午前6時と午前10時30分の2回、僧侶が御廟に運んでいます。
・御廟橋
奥の院の裏山に位置する霊峰楊柳山から流れる玉川は、水難事故で亡くなった人々の霊を鎮めるために水中に卒塔婆が建てられている。また、弘法大師が串焼きにされた魚を放つとたちまちに生き返ったという伝承も残っています。橋を渡った先は弘法大師御廟の霊域となっており、服装を正し礼拝をして踏み入れるのが重要。36枚ある橋板と橋そのものを合わせて金剛界37尊を表しているとされます。
この橋から奥は撮影禁止です。
御廟橋の奥の階段の上が「燈籠堂」です。
御廟前の拝殿として建てられたものですが、江戸時代からは参拝者の献じる燈籠が多くなり万燈を超えています。
階段上が「燈籠堂」。
奥の院の裏山に位置する霊峰楊柳山から流れる玉川は、水難事故で亡くなった人々の霊を鎮めるために水中に卒塔婆が建てられている。また、弘法大師が串焼きにされた魚を放つとたちまちに生き返ったという伝承も残っています。橋を渡った先は弘法大師御廟の霊域となっており、服装を正し礼拝をして踏み入れるのが重要。36枚ある橋板と橋そのものを合わせて金剛界37尊を表しているとされます。
この橋から奥は撮影禁止です。
御廟橋の奥の階段の上が「燈籠堂」です。
御廟前の拝殿として建てられたものですが、江戸時代からは参拝者の献じる燈籠が多くなり万燈を超えています。
階段上が「燈籠堂」。