July 13, 2022
<17Nov’2020,飛鳥宮跡> 以下同左
宮殿の遺構。
今日の写真は、飛鳥宮跡です。
従来、伝飛鳥板蓋宮跡(でんいたぶきのみやあと)とされ、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で大化の改新(乙巳の変)の舞台であったとされてきました。
乙巳の変で中大兄皇子らに暗殺された「蘇我入鹿の首塚」はこの近くの「飛鳥寺」の裏手にあり、一昨日記事にしました。
近年の継続的な調査により、飛鳥板蓋宮だけでなく飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、後飛鳥岡本宮(斉明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が継続的に置かれていたことが判明し、平成28年に名称が「飛鳥宮跡」に改められました。
今日の写真は、いずれかの宮殿の遺構と遺跡の最も上層の持統天皇8年に藤原京に遷都されるまで使われた飛鳥浄御原宮(倭京、わきょう、やまとのみやこ)の石敷広場や大井戸跡の復元物です。
宮殿の遺構。ただしどの天皇の宮殿の遺構かは不明。
飛鳥浄御原宮の石敷広場や大井戸跡の復元。
石敷広場の復元。