July 16, 2022
酒船石。
今日の写真は、奈良県明日香村の酒船石遺跡です。
酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡で、 以前から知られている酒船石に加えて、平成12年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようにないました。
酒船石。
なんのために造られたのか、いまだ定説はありません。
江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説ありますが定かではありません。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説もある車石も見つかっていることから庭園の施設とも言われています。
今日の写真は、奈良県明日香村の酒船石遺跡です。
酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡で、 以前から知られている酒船石に加えて、平成12年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようにないました。
酒船石。
なんのために造られたのか、いまだ定説はありません。
江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説ありますが定かではありません。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説もある車石も見つかっていることから庭園の施設とも言われています。
亀形石造物・小判形石造物と祭祀場。
平成4年(1992年)に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、『日本書紀』の斉明天皇の時代に記述される工事に該当する遺跡と推測されています。記述中の、田身の山に観を起て「両槻宮」と号し「宮の東の山に石を累ねて垣とす。」に関係した遺跡とされています。
その後平成12年(2000年)に大規模な発掘が行われ、砂岩でできた湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が発見されました。これら2つは水槽になっており湧水設備からの水を溜めたと推定されています。
亀形石造物